正樹くんは、大学進学を決めたとき、誰にも本当のことを言えませんでした。
「国公立じゃないと、厳しいかもしれない」
両親にそう言われたとき、正樹くんは「うん、わかってる」と答えました。
本当は、行きたい学部が私立にしかないことも。
奨学金という名前の借金を、何百万円も背負うことになるかもしれないということも。
言えませんでした。
両親に心配をかけたくなかったからです。
大学を卒業した日。
スーツに身を包み、初めての名刺を受け取った日。
その日から、正樹くんの生活には、もう一つ別のものが始まっていました。
毎月の奨学金の返済です。
就職した。働き始めた。それなのに、給料が入るたびに、まず頭に浮かぶのは返済額でした。
結婚を考えたとき、頭をよぎったのは奨学金の残高でした。
正樹くんは学ぶことを選んだだけでした。
それなのに、その選択が、何年も先の人生の選択肢を狭めていました。
「奨学金」という言葉を、よく見てみると不思議な言葉です。
「奨学」とは、学ぶ人を励ます、支えるという意味のはずです。
しかし実態は、利子のついた教育ローンです。
学ぶことを励ますはずの制度が、学んだあとの人生に重荷を残していく。
これは、本当に「奨学」と呼べるものでしょうか。
では、奨学金に頼らない仕組みをつくるには、どれくらいのお金が必要なのでしょうか。
国立大学相当の授業料と入学金を、大学・大学院・博士課程・短期大学・専門学校に通うすべての学生に給付した場合、必要な金額は年間およそ2兆円台です。
日本の国家予算は約120兆円規模です。
その中のわずか2%にも届かない金額で、すべての若者が気兼ねなく大学進学にチャレンジできる社会が生まれます。
私立大学を選び、奨学金が必要な人も、これまでの借入額を半分近くまで抑えることができるのです。
もし正樹くんが、これからの時代に生まれていたら。
国公立でも私立でも、誰にも本当のことを言えなかったあの日を、迎えずに済んだかもしれません。
進学を諦めていた誰かが、医師になっていたかもしれません。
研究者になっていたかもしれません。
技術者になって、新しい産業を生み出していたかもしれません。
経済的な理由でその可能性が失われることは、本人だけの損失ではありません。
日本にとっての損失でもあります。
奨学金という言葉が、借金ではなく、本来の意味を取り戻す社会。
学ぶことが、励みであり続ける社会。
そんな社会を、目指してもいいのではないでしょうか。