みらい社会創造ラボ
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【コラム】 児童手当は「今」を担い、みライそなえは「将来」を担う。

児童手当と教育費支援は、比べるものではない。役割が違うだけだ。


児童手当は所得制限が撤廃され、1人目から3人目まで毎月の生活費を後押しする制度として、すでに相当拡充されている。この制度の総額の大きさをもって「もう1人」への後押しは十分ではないか、という見方もあるだろう。


だが、その総額はすでに3人育てている家庭を前提にした数字だ。1人目から2人目へ踏み出すかどうかを迷っている家庭にとっては、まだ手にしていない未来の話であり、判断材料としてはかみ合わない。迷っている家庭が知りたいのは「3人いくらもらえるか」ではなく「2人目に踏み出したら、この先どうなるか」である。


「崖」が生む逆説。児童手当の第3子加算には、見落とされがちな仕組みがある。加算の対象は「現在18歳年度末までの子ども」の中での順位だ。つまり、1人目が高校を卒業した瞬間、2人目・3人目の順位が繰り上がり、3人目の支給額は月3万円から1万円へ落ちる。


本人は何も変わっていないのに、上の子が卒業しただけで手取りが減る。しかもそのタイミングは、下の子がちょうど大学進学を控える時期と重なることが多い。教育費が最も膨らむ瞬間に、支援が細るという逆説だ。


児童手当は「今」の生活を支援する制度として設計されている。分割で届く給付は家計に溶け込み、実感として積み上がりにくい。1人目から2人目を迷う家庭が本当に恐れているのは、今日の生活費ではなく「将来、大学に行かせられなかったらどうしよう」という不確実性だ。月々の給付では、この不安を打ち消す力が弱い。


「申し訳なさ」という、もうひとつの重荷。進学費用への不安と並んで、親の心に重くのしかかるものがある。子どもに奨学金という借金を背負わせることへの、申し訳なさだ。


奨学金の返済残高は全国で約9.27兆円にのぼり、そのうち約7.47兆円が返済中である。この数字の裏には、子ども自身が社会に出る前から数百万円の借金を背負う現実があり、それを止められなかった親の心の負担がある。「行かせてやれなかった」ではなく「行かせるために借金を背負わせた」という自責は、進学費用の不足そのものより深く、長く残ることがある。


みライそなえの教育費支援が埋めるのは、まさにこの二重の重荷だ。進学費用が足りるかという不安と、その費用を子どもの借金で埋め合わせることへの申し訳なさ。どちらも、大学進学という一点に集中して発生する。


みライそなえが埋める場所。みライそなえの教育費支援は、この「崖」と「申し訳なさ」に照準を合わせ、大学進学という家計が最も揺れる局面で「借金に頼らず行かせられる」という確約を先に示す。これは生活費の補填ではなく、不確実性と自責、その両方を軽くする設計である。


児童手当とみライそなえは、役割で見れば補い合う関係にある。児童手当は1人目から3人目まで、日常の生活費インパクトを最大化する。みライそなえは、2人目・3人目の進学という「崖」と、奨学金という重荷を、事前に取り除く。


「今の安心」と「将来の安心」。この両方が揃って初めて、1人目から2人目への一歩が動く。


数字だけでは動かない理由。児童手当の総額の大きさをもって「もう拡充は十分」という指摘は出るだろう。だが、その指摘は「すでに3人いる家庭の実績」と「これから2人目に踏み出すかどうかの判断」を混同している。分割で届く安心と、進学前にまとめて確約される安心は、家計における機能がまったく違う。そして進学費用の不足そのものが解消されても、「借金を背負わせた」という自責は児童手当では消えない。ここに、みライそなえが埋めるべき隙間がある。


傷が浅いうちに、治す。

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