「もう十分、生きたかな」

豪華なごちそうが並んでいても、それをありがたいと思えないときがあります。

お腹は空いているのに、食べたいものが食べられない。

そんな感覚に、少し似ているのかもしれません。

長く生きること。それはきっと、多くの人にとって良いことです。でも、すべての人にとって、そうとは限らないのかもしれません。

「もう十分、生きた」

そう思う瞬間が、人生のどこかに訪れる人もいるのではないでしょうか。

これ以上は、誰にも迷惑をかけずに、静かに人生を仕舞いたい。

そんな気持ちを、どこかにしまい込んだまま、言葉にできずにいる人もいるのかもしれません。

生きている以上、私たちはずっと、死と隣り合わせにあります。

けれど、それを意識しないようにすることで、かえって「どう生きるか」がぼやけてしまうこともあります。

死を意識することは、決して後ろ向きなことではなくて、むしろ「今」をどう生きるかを、少しだけはっきりさせてくれる気がします。

人生には、はじまりがあります。そして本当は、終わり方にも選択肢があっていいのかもしれません。

それは特別な話ではなく、日常の延長の中でそっと考えられるようなこと。

そんなふうに、人生の終わり方について話せる社会があっても、いいのかもしれません。

そういう話を、普通にできる社会は、まだ少し先なのでしょうか。